(言語)現地調査資料の整理をしつつ
前回フィールドワークで集めてきたデータを、整理して提出しなければならないことがあり、このところカリカリとやっておりました。調査時に取ったノートと録音を使って、入力作業とデータ分析を並行してやるような作業です。
初めて調査した方言だったこともあり、データ入力しながらもいろいろと迷いが出てきます。
いや、もっときれいに格好良くまとめられるんじゃないかという、欲が出てくるんです。
もちろん調査したときにだって、それなりに考えながらノートを取っているはずなんですが、考え始めると新しいアイデアの方がよさそうに思えてきて、調査したときの自分は見落としたり勘違いしたりしていたんじゃないかという気になってきます。
そしてためしに、入力したデータを、考えてみた仮説にあてはめて整理してみたりします。
今日のその作業では、見事に失敗をやらかしました。
細かい話になってしまうので詳細は省きますが、要するに本日の仮説よりも調査時の分析の方がまだましだったわけで、書き換えたり戻したりで数時間を費やしました。
学生時代、M先生に「現象を簡単に考えてはいけない」とさとされ、S先生に「○○論で無理をしない方がいい」とアドバイスされたことが脳裏を何往復かしました。
結論としては、理屈が事実の上に行ってはいけない。でした。
さて少し頭を冷やして、また楽しい言語現象とおつきあいを続けたいと思います。
↑そんなに悪くなかったフィールドノートの一部(笑)
初めて調査した方言だったこともあり、データ入力しながらもいろいろと迷いが出てきます。
いや、もっときれいに格好良くまとめられるんじゃないかという、欲が出てくるんです。
もちろん調査したときにだって、それなりに考えながらノートを取っているはずなんですが、考え始めると新しいアイデアの方がよさそうに思えてきて、調査したときの自分は見落としたり勘違いしたりしていたんじゃないかという気になってきます。
そしてためしに、入力したデータを、考えてみた仮説にあてはめて整理してみたりします。
今日のその作業では、見事に失敗をやらかしました。
細かい話になってしまうので詳細は省きますが、要するに本日の仮説よりも調査時の分析の方がまだましだったわけで、書き換えたり戻したりで数時間を費やしました。
学生時代、M先生に「現象を簡単に考えてはいけない」とさとされ、S先生に「○○論で無理をしない方がいい」とアドバイスされたことが脳裏を何往復かしました。
結論としては、理屈が事実の上に行ってはいけない。でした。
さて少し頭を冷やして、また楽しい言語現象とおつきあいを続けたいと思います。
↑そんなに悪くなかったフィールドノートの一部(笑)
でてこない言葉
たまには言語調査ネタを。
今回、今までと違う方言の調査だったので、基礎語彙から聞いてきました。
今まで、現地に入れたときは、調査に協力してもらう話者は、ある程度年配で、成人するくらいまでほぼその言語だけ使っていた人にお願いしていました。
今回、協力してくれたのは、
今回、今までと違う方言の調査だったので、基礎語彙から聞いてきました。
今まで、現地に入れたときは、調査に協力してもらう話者は、ある程度年配で、成人するくらいまでほぼその言語だけ使っていた人にお願いしていました。
今回、協力してくれたのは、
バルカム(馬爾康)、2011年9月
バルカムへ行ってきました。
ギャロン語を勉強していたので、あまり観光地の写真などはありませんが、記録的に撮ったものをいくつかアップしておきます。
四川省西部地帯の街は、その多くが山間の川辺の狭い平地にあります。
(その不便さのおかげで、互いに異なる言語文化が保たれてもいるのですが……)
バルカムもその一つ。
地元の人の主な言語は、ギャロン語です。
今回ギャロン語の勉強でお世話になった農家の女性は、就学経験がなく、漢字も読めないし、チベット語も話せません。農村の中年以上の多くの人が同じような言語状況にあります。
彼女の話すゆったりとした漢語四川方言と、私のナントカカントカな中国語が、媒介言語でした。
そのバルカムですが……
ギャロン語を勉強していたので、あまり観光地の写真などはありませんが、記録的に撮ったものをいくつかアップしておきます。
四川省西部地帯の街は、その多くが山間の川辺の狭い平地にあります。
(その不便さのおかげで、互いに異なる言語文化が保たれてもいるのですが……)
バルカムもその一つ。
地元の人の主な言語は、ギャロン語です。
今回ギャロン語の勉強でお世話になった農家の女性は、就学経験がなく、漢字も読めないし、チベット語も話せません。農村の中年以上の多くの人が同じような言語状況にあります。
彼女の話すゆったりとした漢語四川方言と、私のナントカカントカな中国語が、媒介言語でした。
そのバルカムですが……
汶川映秀・追記(雑感)
先ほど映秀付近の写真をアップしましたが、少し追加です。
今回は、行きも帰りもくすんだ空でした。
新しい国道は、古い国道を避けるように、川の対岸に伸びていました。
対岸に、埋もれたまま掘り起こされていないかつての道を見ながら進むのは、なにやら凄まじいものに思われました。
山肌は、草に覆われたところと砂利がむき出しの所がまだらになっていました。
地震から3年を経て、ようやく緑になってきたのだそうです。
今年の夏も新たな地滑りや土石流が頻繁に発生し、何度も通れなくなったそうです。地震で地盤が緩んだせいだろう……と四川の人たちは言っていました。
今回は、行きも帰りもくすんだ空でした。
新しい国道は、古い国道を避けるように、川の対岸に伸びていました。
対岸に、埋もれたまま掘り起こされていないかつての道を見ながら進むのは、なにやら凄まじいものに思われました。
山肌は、草に覆われたところと砂利がむき出しの所がまだらになっていました。
地震から3年を経て、ようやく緑になってきたのだそうです。
今年の夏も新たな地滑りや土石流が頻繁に発生し、何度も通れなくなったそうです。地震で地盤が緩んだせいだろう……と四川の人たちは言っていました。
汶川県映秀を通った
バルカム(馬爾康)へ行った帰途、成都まで戻ってきました。
今回、2008年四川大地震の震源地近くも通ってきましたので、先にそのことを書きます。
政府の強力な復興施策により、成都からバルカムまで、新しい国道がほぼつながっていて、道のりは快適でした。また、都江堰から汶川まで続く高速道路が着々と建築中です。
汶川県映秀鎮から汶川鎮よりの一帯では、手つかずのままの旧国道や壊れた橋、崩壊した建物などが、「地震遺跡」として残されています。
今回、2008年四川大地震の震源地近くも通ってきましたので、先にそのことを書きます。
政府の強力な復興施策により、成都からバルカムまで、新しい国道がほぼつながっていて、道のりは快適でした。また、都江堰から汶川まで続く高速道路が着々と建築中です。
汶川県映秀鎮から汶川鎮よりの一帯では、手つかずのままの旧国道や壊れた橋、崩壊した建物などが、「地震遺跡」として残されています。
アバ州、カンゼ州
現地の状況に詳しい方の話によれば、現在、以下の地域で「はっきりと通達は出ていないが外国人を入らせないようにしている」とのことです。
・カンゼ州全域
・アバ州のうち、北部草原地帯の4県(若爾蓋、紅原、阿壩、壤塘)
・カンゼ州全域
・アバ州のうち、北部草原地帯の4県(若爾蓋、紅原、阿壩、壤塘)